「今日の芸術―時代を創造するものは誰か」
岡本太郎著 光文社文庫 1999年3月
この本には、芸術論として以上に今の日本の企業経営者が学ぶべき観点が数多く書かれている。今日では芸術の最高峰と言われる、ピカソ、ゴッホ、セザンヌ、ゴーギャンなどの巨匠も、当時はすべからく、「こりゃーなんだ」と言われたり、見られたりしたのである。もっと遡ればルネッサンスも、それまでは裸の女など絵としてあり得なかったので、皆驚き、「こりゃーなんだ」と思った時代なのである。新しい芸術が生み出されるときはいつもそうだが、前の時代に見られなかったことが描かれ、始めは受け入れられずとも徐々に浸透し、その時代の芸術となるのである。
時代の芸術と同じように、「こりゃーなんだ」という感動が企業の新しい芽となり、ビジネス化した時企業の成長がある。その驚きを「いやったらしい」「わけわからん」と葬り去るか、感動として育てるかで、企業の成長は決まってくる。
この本では、「現代人は部品になった」と言い、誰にでもある押さえられた中で噴出せんとする創造欲を発揮せねばならないと言う。今、各企業が社員に求めていることである。「八の字文化」という章では、八の字を見ただけで富士山を思う日本人を戒めている。これも前例主義の日本経営への警告とも受け取れる。社内の「あの人」が言ったからそれだけで是となる風潮はないか。「若い世代がいい子になり、権威側の枠に順応して、その中でうまくやろうとする。断絶しないで、順番を待って、いずれその座につこうとしている」とも言っている。これも、まさに現代日本の経営の閉塞感の基をついた発想といえる。
「先生が生徒に絵を教わる」ということで、生徒自身が教わる姿勢を営々と続けては受け身の姿勢のみが身に付いてしまい、自ら意見を持ち主張できなくなってしまうことを止めようと言うアイデアも示されている。先生もまた、多くを生徒から学ぶと言う。
企業戦士の教わる姿勢への戒め、トップ自ら社員に教わることなどと捉えうる。松下幸之助が「衆知を結集」と言っていたことと相通じるものがある。伊藤淳二が日本航空へ会長として乗り込んだ際、全社員からの意見を大事にした点とも繋がる。
日本人的な謙譲の美徳、謙遜についても、その嘘、その傲慢さについても批判している。これも企業経営が息詰まっている今、経営者が社内を見るときに必要な見方であろう。今日はもう、低姿勢で人の動きを気にして、それに合わせていてはいけない時代なのである。